私が考える子育て Vol,4

教育・子育て

「対等な立場」から生まれる親子の会話と絆

「ママ」ではなく「まみさん」と呼ぶ理由

わが家には、少しユニークな光景があります。それは、親子であっても「名前」で呼び合うことです。
母を「ママ」ではなく「まみさん」。 息子を「かいちゃん」ではなく「かいりさん」。

最初は周囲から「他人行儀じゃない?」と笑われたこともありましたが、私たちにとってはこれがいちばんしっくりくる、心地よい距離感でした。
名前に「さん」をつけるだけで、不思議と相手を【ひとりの独立した人間】として尊重できるようになります。
「親だから」「子どもだから」と上下関係をつくらない。同じ屋根の下に暮らす、対等な人間同士。
このスタンスが、わが家の会話の揺るぎない土台になっています。

「口げんか」ではなく「プロジェクト会議」

対等であることは、決して「好き勝手にする」ことではありません。むしろその逆です。
対等だからこそ、丁寧に説明し、真摯に耳を傾ける
そんなわが家には、感情的な「口げんか」はほとんどありません。その代わりにあるのが「議論」です。

家庭内では、まるで小さなプロジェクト会議のような「報告会」が頻繁に開かれます。

● お互いの目標を宣言し合う
● 現在の進捗と、直面している課題の共有
● 導き出した結論の発表

最初は照れていた息子も、いつの間にか堂々と自分の意見を語るようになりました。私が反対意見を投げかけると、「それはですね……」と理路整然と返してくる。
その成長ぶりに、内心「おぉ、育ってるな」と感動することもしばしばです。

議論の目的は、相手を打ち負かすことではなく「理解し合うこと」
だからこそ、外で何があっても「家に帰れば対話ができる」という安心感があります。これは親子双方にとって、かけがえのないセーフティーネットとなっています。

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親子を超えた「人生のチームメイト」へ

この20年間、私たち親子は二人三脚で歩んできました。 もちろん、意見がぶつかり、数日間も言葉を交わさないような無言の時間が流れたこともあります。
それでも、私たちは「話すこと」だけは諦めませんでした。

「一旦座って話そうか」

どちらからともなく切り出し、再び向き合う。
「まみさんはどう思う?」「かいりさんはどうしたい?」
その問いかけを積み重ねるうちに、私たちの関係は親子という枠を超え、【人生のチームメイト】へと進化していきました。
この絆は、何にも代えがたい私たちの宝物です。

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息子からの意外な「人生相談」

息子が高校生になった頃、ふと真面目な顔でこんな質問を投げかけてきました。
「再婚しないの? 俺が障壁になってるとかない?」
突然の問いに驚きつつも、「どうしてそう思ったの?」と聞き返すと、彼は少し照れながらこう続けました。
「義務教育も終わったし、まみさんにはこれからの人生をもっと楽しんでもらいたいなと思って」

胸の奥がじんわりと温かくなりました。この人は、こんなにも相手を思いやれる人に成長したんだ、と。
「私はね、今が最高に楽しくて幸せなの。君と、こめさん(愛犬)と、三人でいる今がちょうどいいんだよ」 そう笑って答えると、彼は安心したようにうなずきました。
親が子を安心させているのか、その逆か。もはや境界線は曖昧ですが、それでいいのだと思います

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子育てという名の「共同プロジェクト」

子育てとは、支配でも管理でもなく、一つの共同プロジェクトです。
ゴールは「自立」かもしれませんが、その過程で育まれる深い信頼こそが、本当の成果なのかもしれません。

● 対等な立場で向き合うこと
● 互いを個として尊重すること
● そして、対話を止めないこと

これから先、たとえ進む道が別々になっても、私たちはいつまでも「チーム」です。
……とはいえ、最近は議論で言い負かされることも増えてきました。

うれしいような、少し悔しいような。
「まみさん」の精進の日々は、まだまだ続きそうです。

厚木市議会議員:望月 真実(もちづきまみ)

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