「怒られないように生きる」しかできなかった、あの頃の私へ
忙しいときにぐずられたとき。
何度言っても動いてくれないとき。
時間がないのに、靴すら履いてくれない朝。
気づけば私も、
「早くしないと置いていくよ!」
「そんなことしてたらダメな子になるよ!」
と、つい強い言葉を口にしてしまったことがあります。
脅したいわけじゃなかった。
あの時の私は「そう言うしか方法を知らなかった」だけ。
今思えば、その言葉の裏には「どうか動いて」という必死さしかありませんでした。

子どもは従っているようで、実は怯えていただけかもしれない
脅しの言葉を使うと、子どもは一瞬静まり返り、親の言う通りに動いているように見えます。
でもその姿を見ながら、心のどこかで薄々気づいていました。
この子は、納得して動いているんじゃない。
「怖いから」従っているだけなんだ、と。
脅し育児が続くと、子どもの中には
不安・罪悪感・過度な従順さ
が積み重なっていきます。
そして大人になっても、誰かの機嫌をうかがってしまったり、
「怒られないように」「嫌われないように」が先に立ってしまったり。
そんな【生きづらさ】につながっていくことがあります。
なぜなら私自身も、子ども時代に似たような言葉を受け取ってきた一人だから。
あのとき胸がきゅっとした感覚を、私はまだ覚えています。

回復の第一歩は、「あれは脅し育児だった」と気づくこと
子育てをするようになって気づいたのは、親だって完璧にはなれないということ。
そして、
「あれは脅し育児だったんだ」と気づけた瞬間こそが、すでに第一歩だということ。
大切なのは、自分を責め続けないこと。
当時のあなたは、その時できる最大限のやり方で子どもと向き合っていただけです。
あなたは「ダメな親」でも「愛情が足りない人」でもありません。
ただ、その瞬間に余裕がなかっただけ。
それでもちゃんと、子どもを想って悩んでいる・・・
その姿勢こそが、もうすでに十分すぎるほど愛情深い。

これからは、「この子はいまどう感じている?」を大切に
怒りそうになったとき、私はひと呼吸おいて、そっとこんな問いを自分に向けるようになりました。
「いま、この子はどう感じているんだろう?」
「もし私がこの言葉を言われたら、どんな気持ちになる?」
完璧である必要なんてありません。
毎日できなくても、思い出せる日だけでいい。
その小さな意識が、子どもの中に【この世界は安心できる場所だ】
という感覚を少しずつ育てていきます。

https://benesse.jp/kosodate/202010/20201006-1.html
https://st.benesse.ne.jp/ikuji/content/?id=154762
https://gendai.media/articles/-/51583?imp=0
あとがき
私自身の育児は、いつだって試行錯誤の連続でした。
育児本も読み漁りましたし、悩んだり、自信を失ったり、泣きたくなる日もありました。
そんな中で私がたどり着いた結論は、とてもシンプルです。
「自分らしく、そして子どもを1人の人として対等に見ること。」
それが、私の育児を驚くほど軽くしてくれました。
気がつけば私は、
「ママ」「お母さん」と呼ばれることが好きだったはずなのに、
いつしか「まみさん」と名前で呼ばれるほうが嬉しくなっていました。
初めて見た人はみんな驚きますが(笑)
それは、私たち親子が【個として尊重し合う】関係を積み重ねてきた証のような気がします。
子どもも私を「まみさん」と呼び、
私も息子を「かいりさん」と呼ぶ。
親子だけど、ちゃんと1人の人として向き合う関係。
それが私たちにとって、とても自然で、心地いい形でした。
子育ては、何度だってやり直せます。
親子関係も、出会い直すように育て直すことができます。
今日から少しずつ、「自分はどうしたい?」「この子はどう感じている?」
そんな小さな問いを大切にしていけば、親子の世界は優しく変わっていきます。
厚木市議会議員:望月 真実(もちづきまみ)